創業期の当社

わが国で最初にLPガスが製造されたのは、1931年のことです。LPガスの存在価値がさらに増すのは、日本が国際的に孤立するようになってからで、原油の輸入が減少したために、石油に代わる燃料として利用され始めました。

LPガスが家庭で使われ始めた頃の様子
開業当初の桜田オート
ガススタンド

東邦ガスにおいても、LPガス販売会社の設立準備を始め、1959年11月26日に東邦液化燃料(当社の前身)が設立されました。当時は工業用、自動車燃料を中心に需要が伸び、LPガス市場が急速に拡大しました。当社は、「東邦のプロパン」というブランド力に支えられ、創業3年目にして東海地区最大のLPガス卸売会社にまで成長しました。

開業当初の城見オート
ガススタンド

転換期の到来

1960年代に入ると、以前から続いていた販売店間の過当競争が表面化し、倒産したり、他社に商権を譲渡してLPガス販売事業から撤退する販売事業者が出てきました。また、都市ガスとの競争という脅威にさらされ、LPガス業界においては、体質強化のために近代化・協業化が重要課題となってきました。

当社においてもこれまでの卸売という営業方針を見直す機運が高まり、民生用顧客を獲得するため、特約店3社のLPガス部門を統合して、新しいLPガス販売事業者(東和プロパン販売)としてスタートしました。同社は、当社グループの小売部門の柱として、民生用のお客さま獲得に大きな成果を発揮しました。

設立当初の東和プロパン販売

事業拡張と事業再編

建設途中の名港LPG基地

1980年代に入ると、1961年につくられた桜田充填所は手狭になり、急激な販売量の増加で備蓄が追いつかないだけでなく、交通渋滞など市街地に立地しているデメリットが大きくなっていたため、新たな充填所の建設計画が持ち上がりました。

検討の結果、名古屋港内の9号埋立地内の不要となった基地を購入し、1987年に最新設備を備えた、二次基地としてはわが国で最大級の規模を誇る「名港LPG基地」を建設しました。また、LPGコースタルタンカーの船会社と契約を結び、海上からLPガスを受け入れる体制を構築することで、一度に調達できるガス量もローリー輸送よりはるかに多くなり、効率的な供給基盤を整備しました。

コースタルタンカー

平成に入り、エネルギー業界を取り巻く環境が大きく変化し、当社も事業の整理・統合に着手しました。1998年、東邦コークス販売からコークス事業を譲り受け、社名を東邦エルピージーアンドコークに変更しました。2004年からはLPガス販売事業者の再編を進め、合同液化ガス、岐阜液化燃料、岡崎液化ガス、東和プロパン販売、東海液化ガスを子会社化し、社名変更、販売管轄エリアの再編を行った上で、2007年に6社合併を行い、卸売からお客さまへの直接販売を一括して担う、新生東邦液化ガスがスタートしました。

本社玄関(2007年合併当時)

明日への飛躍に向けて

設立以来、お客さま、お取引先さま、地域社会の皆さまに支えられ、発展してきた東邦液化ガス。

LPガスは、分散型エネルギーとして、災害にも強く、環境負荷も小さく、都市郊外・中山間地域といった導管供給の難しい地域にも供給が可能な、国民生活を支えるエネルギーです。

当社は東邦ガスグループの一翼を担うLPガス事業者として、東海3県のコアエリアから活動範囲を広げ、他社とも連携しながら、家庭用のお客さま数の拡大、民生用・工業用の燃料転換を推進するとともに、卸販売を強化します。また、引き続き事業基盤の強化を図り、効率化と安定供給の両立を実現します。

より広域な事業展開

事業基盤の強化・拡充

  • LPG基地のローリー出荷能力増強や充てん機等の計画的な設備更新の実施
  • 他事業者との連携も活用した、充てん・配送ネットワークの強化
  • LPG物流への関与拡大

LPガス業界は他燃料との競合、原料価格の高騰など、取り巻く環境は厳しい状況にあります。しかし、当社には設立以来、「元気な東邦液化」と称えられる社風が連綿と続いております。

こうした伝統とあゆみを礎に、今後もお客さまからの揺るぎない信頼を得、新たな歴史を切り開くことができる方をお待ちしております。